目薬

目薬の歴史に迫る!~知られざる意外なルーツ~

目薬にはどんな歴史があるんだろう…?そんな風に思ったことはありませんか?目薬には疲れ目の解消やドライアイ対策などでお世話になっている人も多いはず。目薬はもはや私たちの生活にとって欠かせないものの一つですよね。ではそんな目薬は一体どのようなルーツを持っているのでしょうか。調べていくと、目薬には意外な起源が潜んでいることがわかりました。

そこで本記事では、目薬の歴史をさかのぼり、そのルーツを紐解きます。普段から目薬にお世話になっているあなた。本記事を参考に目薬の歴史を知り、目薬が目の健康を維持する秘訣を知りましょう!また最後には目薬の最新事例をご紹介します。目薬が今後描く未来をのぞいてみましょう。

目薬の歴史

それでは早速目薬の歴史についてみていきましょう。ここでは目薬の起源や目薬が日本にやってきた経緯、目薬が今の持ち運び可能な形になるまでをご紹介します。

目薬の起源は古代エジプト!?

目薬の起源はなんと古代エジプト時代にまで遡ります。もっとも古代エジプト人にとっての目薬は目に直接薬を入れるのではなく、目の周りに塗る形式でした。

あの有名なツタンカーメンを始めとする黄金のマスクを思い浮かべると、どれも目の周りを縁取られていることに気づきませんか?あのアイラインはクジャク石をすり潰して卵白でのばしたもので、装飾だけでなく目薬の役割を果たしていのです。古代エジプトでは目の病気が多いうえ、乾燥もひどく目の水分を求めて目に虫が寄り付きやすい環境でした。したがってエジプト人はこのアイラインによって虫の侵入を防いでいたのです。

日本に目薬がやってきたのは?

目薬が日本で初めて現れたのは安土桃山時代だと言われています。この目薬は、名前を「清眼膏」と言って、点眼液の原型となったものです。二枚貝の片方に軟膏状の薬剤を入れ、もう一方を使って水で薄めるという形で使われていたそうです。

江戸時代に入ると、硫酸亜鉛の溶液である「精奇水」が開発されました。この目薬は日本初の西洋式目薬で、岸田吟香とヘボンによって導入されました。はやり目に苦しむ岸田吟香をヘボンがアメリカから持参した目薬によって救ったのがきっかけです。ヘボン式ローマ字を生んだ和英辞書の編纂と同時に、目薬の開発が進められたのです。

目薬が今の形になった理由

その後明治に入ると、今の参天製薬に当たる会社が1899年に点眼式の目薬を開発、1931年に現ロート製薬である信天堂山田安民薬房が両口式点眼瓶を発明するなど、現在の目薬に近づいていきました。第二次世界大戦後は参天製薬が従来のガラス瓶に代わってプラスチック瓶を採用した「スーパーサンテ」を発売し、目薬の持ち運びが容易になりました。また容器自体を指でへこませることができるので、適量の目薬を点眼することも可能になりました。現在の目薬は点眼口が容器の上にあるのが一般的ですが、田辺製薬が開発したサイドドロップ容器は点眼口が容器の横にあるので、点眼が苦手な先端恐怖症の人にも使いやすい形となっています。目薬は今でも進化を続けているのですね。

目薬の未来

目薬の歴史を学んだところで、今度は目薬の未来に目を向けてみましょう。最新の目薬事情はどのようになっているのでしょうか?

最近ではロートリセがセーラムーンとコラボしたハート型の目薬を発売しました。

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限定のコラボデザイン目薬ケースも合わせて発売するなど、女性の心を掴む工夫が満載です。また参天製薬は世界的なデザイナー吉岡徳仁氏とコラボし、香水瓶を思わせるラグジュアリーなデザインの目薬を販売しています。目薬によるアイケアに対する意識を高める狙いがあるそうです。デザインにもこだわって目薬が今注目されています。そのほか手を使わずに自動で目薬をさすロボットが開発されるなど、新たな目薬の形が開発されつつあります。今後も目薬の進化から目が離せません。

まとめ

ここまで目薬の歴史にはじまり最新の目薬事情まで、目薬について詳しくお伝えしてきました。目薬の起源はなんと古代エジプトにまで遡ること、日本に目薬が導入されたきっかけ、その後の進化など目薬の変遷がよく理解できたと思います。また目薬の最新事情を知ることで目薬がまだまだ進化を遂げそうであることもわかりましたね。本記事でお伝えした目薬の豆知識を参考に、日頃お世話になっている目薬への理解を深めましょう!